山梨県立博物館で開催されている
「誕生500年武田信玄の生涯展」を観に行ってきました。
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歴史が好きな人はもちろん、あまり興味のない人でも
武田信玄という名前は聞いた事があると思います。
私は、地元という事もあり、
甲斐の小国から天下を取るために領土を拡大する
勢力を持っていた武田信玄という人物に興味が
ありました。
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展示してある物は、古文書・小判・刀・不動明王
などありました。私が興味を惹かれるものはなく(笑)
通常なら30分ぐらいで観て終わりなのですが、
今回は氣がつくと1時間30分も時間が経って
いて自分で驚きました。
信玄公さんは、国の事・民の事を思って
治世を行った武将であつたのではと
感じました。
なので、誕生500年を経っても山梨県民から
信玄さん、信玄公さんと慕われているのですね。
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今でも信玄公さんの行った治水工事の後が残っています(信玄堤)↓↓↓
武田氏の本拠地である甲斐は平野部である甲府盆地を有するが、釜無川、笛吹川の二大河川の氾濫のため利用可能な耕地が少なく、年貢収入に期待ができなかった。この為、信玄期には大名権力により治水事業を行い、氾濫原の新田開発を精力的に実施した。代表的事例として、甲府城下町の整備と平行して行われた御勅使川と釜無川の合流地点である竜王(旧・中巨摩郡竜王町、現・甲斐市)では信玄堤と呼ばれる堤防を築き上げ、河川の流れを変えて開墾した。
世界の教科書にも載っているとか。
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信玄公さんが天下を取ろうとするまでに勢力を拡大できたのはなぜ?
と歴史好きな友人に訪ねたところ、
「適材適所がすごかったから」と教えてくれました。
なるほど!民の事を思い適材適所で人を活かしたから、
甲斐の小国から天下取りが可能なまでの領土を拡大する勢力があったのですね。
今の会社や政治にも活かせますね。
後、10年長く生きていたら天下を取っていたと言われています。
もし、はありませんが・・・
天下を取った武田信玄公の歴史を見たかったですね。
(写真はネットより)